高校野球

高校野球変遷史

第39回目は、栃木県(1978年~2000年)

③世紀末(1978年~2000年)

 

 栃木県は、1975年夏11代表となり、様々な高校が出場するようになった。前期栃木県をリードした作新学院、宇都宮工の勢いが衰え、宇都宮学園、国学院栃木、佐野日大が台頭、公立でも宇都宮南、足利工が出てきた。好成績を残したのは、1986年春宇都宮南で高村祐投手の活躍で、高知、広島工などを倒し準優勝を遂げた。1988年宇都宮学園は天理や上宮など関西の強豪を破りベスト4。この時真中満(ヤクルト)がいた。2000年春国学院栃木はベスト4、作新学院はベスト8まで進んだ。

この間栃木県は3136敗(全国28位)。高校別では、宇都宮学園9、宇都宮南7、国学院栃木5、佐野日大4、宇都宮工3、作新学院2、宇都宮商1。出場数は、宇都宮学園7、佐野日大6、宇都宮南・国学院栃木4、宇都宮工・足利工3、作新学院2、宇都宮商・足利学園・黒磯・葛生・小山・栃木西1。

1978

 

作新学院

1979

作新学院宇都宮商

足利学園

1980

 

黒磯

1981

 

宇都宮学園

1982

 

足利工

1983

 

宇都宮南

1984

 

足利工

1985

 

国学院栃木

1986

宇都宮南〇

宇都宮工

1987

国学院栃木

足利工

1988

宇都宮学園

宇都宮学園

1989

宇都宮工

佐野日大

1990

 

葛生

年代

選抜大会

全国大会

1991

宇都宮学園

宇都宮学園

1992

 

宇都宮南

1993

佐野日大

佐野日大

1994

佐野日大

小山

1995

 

宇都宮学園

1996

宇都宮工

宇都宮南

1997

国学院栃木

佐野日大

1998

 

佐野日大

1999

 

栃木南

2000

作新学院国学院栃木

宇都宮学園

第38回目は、栃木県(1946年~1977年)

 ②戦後(1946年~1977年)

 

 戦後台頭したのは、宇都宮工と作新学院。しかし、最初は関東予選の群馬が強く中々出場できなかった。しかし、1950年夏宇都宮工が出場すると、神奈川商工、若狭を倒しベスト41953年夏ベスト81959年夏準優勝を遂げた。宇都宮工以上に活躍したのが、作新学院。1958年夏初出場すると、いきなりベスト4。1962年春は八木沢投手の活躍、夏は加藤投手の活躍により、初の春夏連続連覇。1973

年春夏には昭和の怪物と言われた江川卓投手が登場、春は60奪三振の最多記録を打ち立て、ベスト4へ進んだ。夏は2回戦で銚子商に敗れ涙を飲んだ。江川の実力からして、成績は今一だったが、甲子園に強烈な足跡を残した。1976年春小山は、岡山東商、土佐、東洋大姫路を倒し、準優勝を遂げた。

 

 この間栃木県は、3626敗(全国20位)。勝率5割を越えた。高校別では、作新学院18、宇都宮工9、小山5、宇都宮学園2、足利工・足利学園1。出場数では、作新学院9、宇都宮工5、小山4、足利工・宇都宮学園3、鹿沼農商2、足利学園1。

 

1946

 

 

1947

 

 

1948

 

 

1949

 

 

1950

 

宇都宮工

1951

宇都宮工

 

1952

 

 

1953

 

宇都宮工

1954

 

 

年代

選抜大会

全国大会

1955

 

 

1956

 

足利工

1957

 

 

1958

宇都宮工

作新学院

1959

 

宇都宮工

1960

 

 

1961

作新学院

宇都宮学園

1962

作新学院◎

作新学院◎

1963

宇都宮商

足利工

1964

 

作新学院

1965

 

鹿沼農商

1966

 

 

1967

 

鹿沼農商

1968

 

小山

1969

 

宇都宮学園

1970

 

 

1971

作新学院

 

1972

 

足利工

1973

作新学院

作新学院

1974

 

 

1975

小山

足利学園

1976

小山〇

小山

1977

作新学院

宇都宮学園

第37回目は、栃木県(1915年~1945年)

栃木県で最初に野球部が誕生したのは、1896年(明治29年)宇都宮中である。当時水戸中と試合をした記録が残っている。栃木県のチームが関東予選に最初に参加したのは、1918年真岡中で、初戦で敗れた。甲子園初出場は、1923年宇都宮商で、初勝利は翌1924年に出場した宇都宮中で、佐賀商から勝利した。

1925年から北関東予選に変わり、群馬、埼玉と出場を争った。

 昭和に入ると、栃木中、栃木商、宇都宮実が3強だったが、北関東予選で群馬勢に勝てずに、出場したのは、1933年栃木中だけだった。選抜大会初出場は、1934年栃木中、1939年には栃木商が出場した。

 

 この間栃木県は、25敗(全国29位)。学校別では、宇都宮中・栃木中1。出場数は、栃木中2、宇都宮商・宇都宮中・栃木商1。

年代

選抜大会

全国大会

1915

 

 

1916

 

 

1917

 

 

1918

 

 

1919

 

 

1920

 

 

1921

 

 

1922

 

 

1923

 

宇都宮商

1924

 

宇都宮中

1925

 

 

1926

 

 

1927

 

 

1928

 

 

1929

 

 

1930

 

 

1931

 

 

1932

 

 

1933

 

栃木中

1934

栃木中

 

1935

 

 

1936

 

 

1937

 

 

1938

 

 

1939

栃木商

 

1940

 

 

1941

 

 

第36回目は、茨城県(2001年~2022年)

21世紀(2001年~2022年)

 21世紀になっても常総学院は強く、2001年春、2003年夏優勝。その後茨城では中心的な存在であったが、木内監督が退任すると、勢いが衰え、全国で勝てなくなるばかりか、県内でも出場が難しくなった。県内は群雄割拠になってきた。また、常総学院が下降気味になったものの、私立校は県全体37回出場中29回で、公立校を上回るようになった。

 

 この間茨城県は、3235敗(全国22位)。高校別では、常総学院24、明秀日立4、藤代3、水戸商1。出場数は、常総学院16、藤代4、明秀日立3、下妻二・水城・霞ヶ浦・土浦日大2、水戸短大付・土浦湖北・水戸商・石岡一・鹿島学園1。

2001

常総学院◎

常総学院

2002

水戸短大付

常総学院

2003

藤代

常総学院◎

2004

土浦湖北

下妻二

2005

常総学院

藤代

2006

 

常総学院

2007

 

常総学院

2008

水戸商

常総学院

2009

下妻二

常総学院

2010

 

水城

2011

水城

藤代

2012

 

常総学院

2013

常総学院

常総学院

2014

 

藤代

2015

常総学院

霞ヶ浦

2016

常総学院

常総学院

2017

 

土浦日大

2018

明秀日立

土浦日大

2019

石岡一☆

霞ヶ浦

2020

 

 

2021

常総学院

鹿島学園

2022

明秀日立

明秀日立

第35回目は、茨城県(1978年~2000年)

③世紀末(1978年~2000年)

 世紀末で変わったことは、3つある。1つは、取手二が初優勝、常総学院準優勝し、好成績をあげたこと。2つめは、これらの成績から勝てる県にのし上がったこと。3つ目は、常総学院を中心に私立校が進出し、公立校と肩を並べるようになったことである。

 

 歓喜の瞬間は、1984年夏木内幸男監督が率いる取手二が2回戦箕島、3回戦福岡大大濠、準々決勝鹿児島商工、準決勝鎮西を破り、決勝進出。決勝戦はKKコンビのPL学園、延長戦で勝利を収め、県初の全国制覇を成し遂げた。その後、木内監督は、常総学院に移り、1987年夏、1994年春準優勝をあげた。

木内監督による茨城県の上昇は、他校にも影響を及ぼし、1999年春水戸商が準優勝した。

 

 この間茨城県は4135敗(全国17位)。勝率5割を越えた。高校別では、常総学院18、水戸商8、取手二7、日立工・竜ケ崎一2、明野・日立一・土浦日大・水戸短大付1。出場数は、常総学院10、水戸商6、取手二5、竜ケ崎一3、日立工・茨木東2、霞ヶ浦・明野・江戸川学園・鉾田一・日立一・土浦日大・水戸短大付1。

1978

 

取手二

1979

 

明野

1980

 

江戸川学園

1981

日立工

取手二

1982

 

鉾田一

1983

取手二

茨城東

1984

取手二

取手二◎

1985

 

日立一

1986

 

土浦日大

1987

常総学院

常総学院〇

1988

 

常総学院

1989

日立工

常総学院

1990

霞ヶ浦

竜ケ崎一

年代

選抜大会

全国大会

1991

 

竜ケ崎一

1992

水戸商

常総学院

1993

常総学院

常総学院

1994

常総学院〇

水戸商

1995

 

水戸商

1996

 

水戸短大付

1997

 

茨城東

1998

常総学院

常総学院

1999

水戸商〇

水戸商

2000

竜ケ崎一

水戸商

第34回目は、茨城県(1946年~1977年)

 ②戦後(1946年~1977年)

 戦後初めて出場したのが、1949年夏関東予選を勝ち抜いた水戸商で、1回戦で海南(和歌山)を破った。以後、県内では水戸中、水戸商が2強として活躍する。1959年夏から再び千葉と争う東関東予選に移り、取手一、二が台頭。しかし、千葉は銚子商、習志野の強豪が存在し、茨城勢が中々東関東予選を勝ち抜くことができなかった。対戦は茨城の48敗。後半鉾田一、土浦日大など新たな高校が台頭した。

この間好成績は1958年夏水戸商で、1回戦佐賀、2回戦法政二に勝ち、2勝した。

 この間茨城県は、1020敗(全国39位)。高校別では、水戸商4、土浦一・竜ケ崎一・取手一・土浦日大・鉾田一・取手二1。出場数は、水戸商・取手一4、土浦日大3、竜ケ崎一・鉾田一2、水戸一・下館一・水戸工・取手二1。

 

 1952年夏水戸商に西鉄で活躍した豊田泰光がいた。

1946

 

 

1947

 

 

1948

 

 

1949

 

水戸商

1950

 

 

1951

 

 

1952

 

水戸商

1953

 

 

1954

 

水戸一

年代

選抜大会

全国大会

1955

 

 

1956

 

 

1957

 

土浦一

1958

 

水戸商

1959

 

下館一

1960

 

水戸商

1961

 

 

1962

 

 

1963

 

水戸工

1964

 

 

1965

 

 

1966

 

竜ケ崎一

1967

 

 

1968

 

取手一

1969

 

取手一

1970

 

 

1971

 

 

1972

取手一

 

1973

 

取手一

1974

土浦日大

土浦日大

1975

 

竜ケ崎一

1976

鉾田一

鉾田一

1977

土浦日大

取手二

第33回目は、茨城県(1915年~1945年)

①戦前(1915年~1941年)

 茨城県の野球は、1891年(明治24)年水戸中に創部されたことから始まった。その後、水戸農、土浦中、竜ケ崎中などで次々と創部された。

 第2回全国大会関東予選に竜ケ崎中が参加したが、早実に敗れた。1918年関東予選から東京・神奈川が分離し、関東大会を制した竜ケ崎中が出場予定だったが、米騒動で中止された。翌1919年竜ケ崎中が出場、しかし松山商に敗れた。竜ケ崎中は5年連続出場したが、一度も勝利することができなかった。関東では無敵だったが、全国との差は大きかった。

 1925年夏から関東予選から千葉県と争う南関東予選となったが、茨城県は水戸中、水戸商の4回しか出場できなかった。しかし、1933年夏水戸商が大連商(満州)を破り、県勢初の勝利を飾った。1936年から南関東予選から栃木、群馬、埼玉と争う関東予選に変わったが、群馬が強く一度も出場できなかった。

 

 この間茨城県は、18敗(全国31位)。1勝は水戸商。出場は、竜ケ崎中5、水戸中・水戸商2。

年代

選抜大会

全国大会

1915

 

 

1916

 

 

1917

 

 

1918

 

竜ケ崎中

1919

 

竜ケ崎中

1920

 

竜ケ崎中

1921

 

竜ケ崎中

1922

 

竜ケ崎中

1923

 

 

1924

 

 

1925

 

 

1926

 

 

1927

 

茨城商

1928

 

 

1929

 

水戸中

1930

 

水戸中

1931

 

 

1932

 

 

1933

 

水戸商

1934

 

 

1935

 

 

1936

 

 

1937

 

 

1938

 

 

1939

 

 

1940

 

 

1941

 

 

第32回目は、福島県(2001年~2022年)

21世紀(2001年~2022年)

 21世紀になって変わったことは、聖光学院という他県から野球留学生を入れた高校が出現したこと。全国大会は13年連続出場、他県の強豪校とも互角以上に戦い、2008年夏・2010年夏・2013年春・2014年夏・2016年夏ベスト8。そして、ついに2022年夏1回戦日大三(東京)、2回戦横浜(神奈川)3回戦敦賀気比(福井)準々決勝九州学院(熊本)破り、準決勝進出。準決勝では優勝した仙台育英(宮城)に敗れたものの、ベスト4に躍進した。今後の活躍が楽しみだ。

 この間聖光学院1強で、前期活躍した日大東北は陰を潜め、学法石川は1度も出場できなかった。また、21世紀枠で安積、いわき海星、磐城、只見が出場。安積は伝統校だが、県大会で決勝まで進む高校だが、やっと甲子園出場を果たした。

 

 この間福島県は、2833敗(全国31位)。勝ち星はすべて聖光学院である。出場は、聖光学院23、日大東北3、安積・光南・いわき海星・磐城・只見1。

2001

安積☆

聖光学院

2002

 

日大東北

2003

 

日大東北

2004

 

聖光学院

2005

 

聖光学院

2006

 

光南

2007

聖光学院

聖光学院

2008

聖光学院

聖光学院

2009

 

聖光学院

2010

 

聖光学院

2011

 

聖光学院

2012

聖光学院

聖光学院

2013

聖光学院いわき海星

聖光学院

2014

 

聖光学院

2015

 

聖光学院

2016

 

聖光学院

2017

 

聖光学院

2018

聖光学院

聖光学院

2019

 

聖光学院

2020

磐城☆

 

2021

 

日大東北

2022

聖光学院只見☆

聖光学院

第31回目は、福島県(1978年~2000年)

③世紀末(1978年~2000年)

 1978年から11代表となり、毎年福島県から出場できるようになった。この時期学法石川、日大東北が台頭し、私立が優勢になってきた。30回出場のうち私立は17回、公立13回だった。

 この間2勝したのは、1983年夏学法石川、2000年夏福島商だけだった。

 

 この間、福島は、1230敗(全国42位)。高校別では、学法石川4、福島商3、双葉2,郡山北工・福島北・日大東北1。出場数は、学法石川10、日大東北5、福島商4、安積商・双葉2、郡山北工・福島北・磐城・郡山・青陵情報1。

1978

 

郡山北工

1979

 

安積商

1980

 

双葉

1981

福島商

福島商

1982

 

安積商

1983

 

学法石川

1984

 

学法石川

1985

 

磐城

1986

 

学法石川

1987

学法石川

日大東北

1988

福島北

学法石川

1989

 

学法石川

1990

 

日大東北

年代

選抜大会

全国大会

1991

学法石川

学法石川

1992

 

郡山

1993

 

学法石川

1994

 

双葉

1995

青陵情報

磐城

1996

 

日大東北

1997

平工

日大東北

1998

 

日大東北

1999

 

学法石川

2000

福島商

福島商

第30回目は、福島県(1946年~1977年)

②戦後(1946年~1977年)

 戦後宮城が強くなり、東北予選を勝ち抜くことができなかった。それでも1951年夏決勝が福島商と安積の対戦となり、福島商が勝ち、甲子園に出場した。これは、福島県戦後初の出場となった。しかし、福島商は、初戦で中西太のいる高松一と対戦して敗れている。1954年夏も出場したが勝てなかった。

 

 1958年秋季東北大会で会津が優勝し、翌1959年選抜大会に出場、福島県初の選抜出場だった。

1959年夏東北大会は、宮城と2県で争うことになったが、福島は4年連続出場できなかった。1963年夏記念大会で11代表となり、磐城は出場し、1回戦丸亀商(香川)、2回戦相可(三重)を破り、福島県初の勝利をあげた。磐城は1968年春夏出場、そして、1971年夏小さな大投手田村隆寿投手の頭脳的な投球で、初戦日大一(東京)、準々決勝静岡学園(静岡)、準決勝郡山(奈良)を完封。決勝では桐蔭学園(神奈川)と対戦し、1対0で敗退。初失点で優勝を逃した。この準優勝は、後にも先にも福島最高の成績である。この頃、磐城、福島商が中心であった。

磐城の田村と同じ年安積商に中畑清、その2年後、学法石川に遠藤一彦がいた。いずれも甲子園出場はできなかった。

 

 この間福島県は、1019敗(全国39位)。高校別では、磐城7、福島商3。出場数は、磐城・福島商7、学法石川2、会津・保原・双葉1。

1946

 

 

1947

 

 

1948

 

 

1949

 

 

1950

 

 

1951

 

福島商

1952

 

 

1953

 

 

1954

 

福島商

年代

選抜大会

全国大会

1955

 

 

1956

 

 

1957

 

 

1958

 

福島商

1959

会津

 

1960

 

 

1961

 

 

1962

 

 

1963

 

磐城

1964

 

 

1965

 

保原

1966

 

福島商

1967

 

 

1968

磐城

磐城

1969

 

 

1970

 

磐城

1971

福島商

磐城〇

1972

 

 

1973

 

双葉

1974

磐城

福島商

1975

 

磐城

1976

学法石川

学法石川

1977

 

福島商

第29回目は、福島県(1915年~1945年)

①戦前(1915年~1941年)

 福島県の野球の歴史は古く、1881年(明治14年)福島師範に伝わった。しかし、試合をする相手がなく普及しなかった。その後、安積中、会津中、福島中などに創部された。1915年第1回全国大会東北予選に会津中、福島師範が参加した。その後何度も東北予選に参加したが、岩手や秋田が強く勝ち抜くことはできなかった。

 1934年夏東北予選が6県から福島、宮城、山形3県の東北大会に変わり、強豪岩手、秋田と離れ、出場機会が容易になり、福島師範が県予選、東北予選を勝ち抜き、福島県初の出場を果たした。しかし、初戦同じ東北の秋田中に敗れた。翌年も福島師範が連続出場したが、勝てなかった。戦前の出場はこの2回だけだった。

 

 この間福島県は、02敗(全国39位)。出場は福島師範の2回。

年代

選抜大会

全国大会

1915

 

 

1916

 

 

1917

 

 

1918

 

 

1919

 

 

1920

 

 

1921

 

 

1922

 

 

1923

 

 

1924

 

 

1925

 

 

1926

 

 

1927

 

 

1928

 

 

1929

 

 

1930

 

 

1931

 

 

1932

 

 

1933

 

 

1934

 

福島師範

1935

 

福島師範

1936

 

 

1937

 

 

1938

 

 

1939

 

 

1940

 

 

1941

 

 

第28回目は、山形県(2001年~2022年)

 21世紀になり、山形県の変化は、日大山形と東海大山形からさらに羽黒、酒田南、鶴岡東が台頭し、私立校が乱立した。公立の出場は山形中央のみだった。29回出場中私立が25回、公立4回。もう1つは、日大山形が健闘したことだ。

 この間の好成績は、2004年春東海大山形ベスト8、2005年春羽黒ベスト4、日大山形2006年夏ベスト8、2013年夏ベスト4へ進み、20世紀までの記録を越えた。成績は上がったが、準決勝の壁を越えられなかった。ぜひベスト4の壁を越えたいものだ。

 

 この間山形県は、2328敗(全国35位)。高校別では、日大山形8、鶴岡東4、酒田南・羽黒・山形中央3、東海大山形2。出場数は、酒田南8、日大山形・鶴岡東6、山形中央4、羽黒3、東海大山形1。

2001

 

酒田南

2002

酒田南

酒田南

2003

 

羽黒

2004

東海大山形

酒田南

2005

羽黒

酒田南

2006

 

日大山形

2007

 

日大山形

2008

 

酒田南

2009

 

酒田南

2010

山形中央☆

山形中央

2011

 

鶴岡東

2012

 

酒田南

2013

山形中央

日大山形

2014

 

山形中央

2015

 

鶴岡東

2016

 

鶴岡東

2017

 

日大山形

2018

日大山形

羽黒

2019

 

鶴岡東

2020

鶴岡東

 

2021

 

日大山形

第27回目は、山形県(1978年~2000年)

1976年夏から11代表で、毎年出場できるようになった。この時期山形県の大きな変化は、日大山形にライバル東海大山形が台頭したこと。さらに鶴岡東(鶴商学園)、酒田南という私立校も出てきて、私立校が圧倒したことである。27回出場のうち私立校が24回出場した。公立は3回だけだった。

 最高成績は、日大山形1979年夏・1992年夏、東海大山形1987年夏の3回戦進出だった。

 

 この時期山形県は、1127敗(全国43位)。高校別では、日大山形6、東海大山形3、鶴商学園・酒田南1。出場数は、日大山形10、東海大山形8、鶴

 商学園・酒田南3、山形南・米沢工・鶴岡工1。

 

選抜大会は、23大会中4度しか出場できなかった。

1978

 

鶴商学園

1979

鶴商学園

日大山形

1980

 

山形南

1981

 

鶴商学園

1982

日大山形

東海大山形

1983

 

日大山形

1984

 

日大山形

1985

 

東海大山形

1986

東海大山形

東海大山形

1987

 

東海大山形

1988

東海大山形

日大山形

1989

 

東海大山形

1990

 

日大山形

年代

選抜大会

全国大会

1991

 

米沢工

1992

 

日大山形

1993

 

日大山形

1994

 

鶴岡工

1995

 

東海大山形

1996

 

日大山形

1997

 

酒田南

1998

 

日大山形

1999

 

酒田南

2000

 

酒田南

第26回目は、山形県(1946年~1977年)

 戦後初出場は、1946年夏奥羽予選を勝ち抜いた山形中だが、本大会では勝てなかった。

 その後宮城県、福島県と争う東北予選に変わり、1957年までに山形南2回、新庄北が出場したが、勝てなかった。1959年から秋田と争う西奥羽予選となったが、秋田勢の壁は高く、中々出場できなかった。

 

出場できたのは、11代表の記念大会だけだった。

西奥羽予選を唯一勝ち抜いたのは、1962年夏山形商のみだった。1973年は山形県初のことが3つあり、1つは日大山形が選抜大会に県勢初の出場をしたこと。2つめは、この日大山形が境(鳥取)に勝利し、県勢初勝利をあげたこと。これまで山形県勢は初出場以来13連敗していた。3つは、日大山形が県勢初の春夏連続出場をしたことである。以後日大山形は山形の中心的存在となっていく。

 山形を代表するプロ野球選手皆川睦雄は、1952年・1953年夏米沢興譲館のエースとして、県予選を制したが、東北予選で勝てずに本大会に出場はできなかった。

 

この間山形県は、4勝16敗(全国46位)。高校別では、日大山形3、酒田工1。出場数は、日大山形6、山形南4、新庄北2、山形中・山形商・酒田東・酒田工1。

1946

 

山形中

1947

 

 

1948

 

 

1949

 

 

1950

 

 

1951

 

 

1952

 

山形南

1953

 

 

1954

 

 

年代

選抜大会

全国大会

1955

 

新庄北

1956

 

 

1957

 

山形南

1958

 

山形南

1959

 

新庄北

1960

 

 

1961

 

 

1962

 

山形商

1963

 

日大山形

1964

 

 

1965

 

 

1966

 

 

1967

 

 

1968

 

日大山形

1969

 

 

1970

 

 

1971

 

 

1972

 

 

1973

日大山形

日大山形

1974

 

山形南

1975

日大山形

 

1976

 

日大山形

1977

酒田東

酒田工

第25回目は、山形県(1915年~1945年)

①戦前(1915年~1941年)

 山形県で最も古く野球が伝わったのは、山形中(現山形東)で1889年(明治22年)に野球が行われている。その後、米沢中(現興譲館)、山形師範、新庄中で創部された。

 山形県勢が初めて東北予選に参加したのが、庄内中で、その後何度も参加したが、中々勝てなかった。初めて山形県勢が参加したのが、1936年夏山形中で、奥羽予選で勝ち抜いた。以後4年連続山形中が出場した。しかし、一度も勝てなかった。

 

 戦前山形県は04敗(全国39位)。この成績は、4回出場した山形中の成績である。

年代

選抜大会

全国大会

1915

 

 

1916

 

 

1917

 

 

1918

 

 

1919

 

 

1920

 

 

1921

 

 

1922

 

 

1923

 

 

1924

 

 

1925

 

 

1926

 

 

1927

 

 

1928

 

 

1929

 

 

1930

 

 

1931

 

 

1932

 

 

1933

 

 

1934

 

 

1935

 

 

1936

 

山形中

1937

 

山形中

1938

 

山形中

1939

 

山形中

1940

 

 

1941

 

 

第24回目は、秋田県(2001年~2022年)

21世紀になると、かつて県をリードした秋田は一度しか出場していない。また前期台頭した秋田経法大付が明桜と改名したが、4度の出場にとどまった。ただ秋田商、金足農は健闘し、公立王国秋田県の面目を保った。

 この間活躍したのは、秋田商で、2004年春・2006年春・2015年夏ベスト8。また、金足農は2018年夏吉田輝星投手の活躍で、横浜(神奈川)日大三(東京)の強豪を倒し、決勝では大阪桐蔭に敗れたものの、秋田県に103年ぶりの準優勝を導いた。昨今野球留学生を導入する高校が活躍する中、秋田県出身者だけでこの好成績は立派。

 

 この間秋田県は、16勝28敗(全国42位)。戦前21位⇒戦後35位⇒世紀末31位⇒42位と下降した。高校別では、秋田商7、金足農5、能代商2、明桜・大曲工1。出場数は、秋田商9、明桜4、金足農・能代商3、本荘・大曲工2、大館鳳鳴・由利工・秋田・角館・秋田中央1。

2001

 

金足農

2002

秋田経法大付

秋田商

2003

 

秋田

2004

秋田商

秋田商

2005

 

秋田商

2006

秋田商

本荘

2007

 

金足農

2008

 

本荘

2009

 

明桜

2010

秋田商

能代商

2011

大館鳳鳴☆

能代商

2012

 

秋田商

2013

 

秋田商

2014

 

角館

2015

大曲工

秋田商

2016

 

大曲工

2017

 

明桜

2018

由利工☆

金足農〇

2019

 

秋田中央

2020

 

 

2021

 

明桜

2022

 

能代松陽

第23回目は、秋田県(1978年~2000年)

 ③世紀末(1978年~2000年)

 1978年夏から11代表となり、毎年出場できるようになった。しかし、秋田の場合、他県と争う予選はあったものの、1963年から毎年出場していた。

 この時期大きな変化は、秋田、秋田商の2強が崩れてきて、金足農、秋田経法大付が台頭してきた。特に秋田経法大付は公立王国秋田県に私立校の足跡を残した。

 

 この間活躍したのは、1981年秋田経大付で松本豊投手の活躍で春3回戦、夏ベスト8へ進んだ。1989年夏秋田経法大付と校名を変え、ベスト4へ進む。金足農は、1984年夏水沢博文投手の活躍で準決勝へ

進み、強豪PL学園に7回までリードし、あわやというところまで追い詰めた。1995年夏もベスト8へ進む。1997年夏秋田商にヤクルトのエース石川雅規がいた。

 

 この間秋田県は2535敗(全国31位)。高校別では、秋田経法大付・金足農8、秋田商4、秋田・秋田工2、能代1。出場数は、秋田経法大付11、秋田8、金足農6、能代2、能代商・秋田工・本荘1。

1978

 

能代

1979

 

秋田商

1980

秋田商

秋田商

1981

秋田経大付

秋田経大付

1982

 

秋田経大付

1983

 

秋田

1984

金足農

金足農

1985

 

能代商

1986

秋田

秋田工

1987

 

秋田経法大付

1988

 

本荘

1989

秋田

秋田経法大付

1990

秋田経法大付金足農

秋田経法大付

年代

選抜大会

全国大会

1991

 

秋田

1992

 

能代

1993

秋田経法大付

秋田経法大付

1994

秋田

秋田

1995

 

金足農

1996

秋田

秋田経法大付

1997

 

秋田商

1998

 

金足農

1999

金足農

秋田

2000

秋田経法大付

秋田商

第22回目は、秋田県(1946年~1977年)

②戦後(1946年~1977年)

 戦後秋田県は、青森と岩手3県の奥羽大会予選で争うことになった。しかし、秋田県は勝つことができず、戦後初出場は、1953年夏秋田だった。

 

 1959夏年から山形と代表を争う西奥羽大会に変わり、1959年は山形県が代表となったが、その後はほとんど秋田勢が出場した。また、1974年夏から青森と争う奥羽大会予選となったが、秋田は一度も青森に

譲ることはなかった。そのため、予選を勝ち抜き、秋田、秋田商、秋田市立など多くの高校が出場した。また、1960年春秋田商が県勢初の選抜大会に出場した。 その大会秋田商は、阿倍野(大阪)、慶応(神奈川)を破りベスト4。1965年夏秋田も大鉄(大阪)、日大二(東京)、津久見(大分)を破りベスト4へ進む。秋田市立も1968年夏ベスト8へ進んだ。

この時期秋田商が台頭し、県内は秋田と秋田商2強となった。

1966年夏秋田予選で敗れた能代には、阪急の大エース山田久志がいた。また、1971年夏秋田予選秋田工に三冠王落合博満がいたが、いずれも甲子園に出場することはできなかった。

 

この時期秋田県は、1326敗(全国35位)。高校別では、秋田商6、秋田3、秋田市立3、能代1。出場数では、秋田商8、秋田7、秋田市立4、能代・秋田工2、大曲農・本荘・横手1。

1946

 

 

1947

 

 

1948

 

 

1949

 

 

1950

 

 

1951

 

 

1952

 

 

1953

 

秋田

1954

 

秋田

年代

選抜大会

全国大会

1955

 

 

1956

 

秋田

1957

 

 

1958

 

秋田商

1959

 

 

1960

秋田商

秋田商

1961

秋田商

秋田商

1962

 

 

1963

大曲農

能代

1964

秋田工

秋田工

1965

秋田

秋田

1966

 

秋田

1967

 

本荘

1968

 

秋田市立

1969

 

横手

1970

 

秋田商

1971

 

秋田市立

1972

 

秋田市立

1973

 

秋田

1974

 

秋田市立

1975

 

秋田商

1976

 

秋田商

1977

 

能代

第21回目は、秋田県(1915年~1945年)

①戦前(1915年~1941年)

 秋田県は、今でこそ低迷しているが、戦前は岩手県と共に全国的に知られ、東北の2強と言える存在だった。

 秋田県で初めて野球が伝わったのが、1885年(明治18年)秋田医学校で、以後秋田中、秋田師範などに伝わり、明治時代には秋田県内で大会が始まっていた。   

1915年第1回全国大会は、朝日新聞から秋田中に連絡が入り、東北予選の要請もないため、秋田中は招待されたと思い、そのまま東北代表として参加した。本大会でも初戦山田中(三重)を破り、準決勝早稲田実も勝利し、決勝でも京都二中に7回までリードしていたが、延長で逆転され、準優勝となった。それでも東北の実力が全国に知れ渡った。秋田中は県内ではリーダー的存在で1934年夏もベスト4に進んでいる。秋田中以外では、秋田商、秋田師範も出場した。

 

 この間秋田県は、612敗(全国21位)。学校別では、秋田中5、秋田商1。出場では、秋田中8、秋田商2、秋田師範1。

年代

選抜大会

全国大会

1915

 

秋田中〇

1916

 

 

1917

 

 

1918

 

 

1919

 

 

1920

 

 

1921

 

 

1922

 

秋田中

1923

 

 

1924

 

秋田中

1925

 

秋田商

1926

 

 

1927

 

 

1928

 

 

1929

 

秋田師範

1930

 

 

1931

 

秋田中

1932

 

秋田中

1933

 

秋田中

1934

 

秋田中

1935

 

秋田商

1936

 

 

1937

 

秋田中

1938

 

 

1939

 

 

1940

 

 

1941

 

 

第20回目は、宮城県(2001年~2022年)

 21世紀(2001年~2022年)

 21世紀になっても東北・仙台育英2強体制は続き、さらにパワーアップした。仙台育英は、2001年春・2015年夏準優勝し、優勝まであと一歩に近づいた。そして、2022年夏念願の東北初、宮城県初の優勝を遂げた。ついに優勝旗が白河の関を越えた。片や東北も2003年夏準優勝。この時のエースがダルビッシュだった。

 

 この間宮城県は、5538敗。全国5位。強豪県にふさわしい活躍をした。戦前31位、戦後28位、世紀末23位、21世紀5位と上昇した。高校別は、仙台育英34、東北15、利府4、一迫商・東北学院1。出場数は、仙台育英19、東北10、利府2、一迫商・石巻工・東陵・柴田・仙台西・古川工・東北学院1。

2001

東北仙台育英〇

仙台育英

2002

 

仙台西

2003

東北

東北〇

2004

東北

東北

2005

一迫商☆

東北

2006

 

仙台育英

2007

仙台育英

仙台育英

2008

東北

仙台育英

2009

利府☆

東北

2010

 

仙台育英

2011

東北

古川工

2012

石巻工☆

仙台育英

2013

仙台育英

仙台育英

2014

東陵

利府

2015

仙台育英

仙台育英〇

2016

 

東北

2017

仙台育英

仙台育英

2018

 

仙台育英

2019

 

仙台育英

2020

仙台育英

 

2021

仙台育英柴田

東北学院

2022

 

仙台育英◎

第19回目は、宮城県(1978年~2000年)

③世紀末(1978年~2000年)

 

 この時期東北、仙台育英2強は勢いを増し、38回出場中35回がこの2校だった。2強以外は、仙台商、仙台、東陵の3回だった。また、出場数は東北18回、仙台育英17回とほぼ拮抗している。ただ前期は東北がリードしていたが、成績では仙台育英が上回った。それは、1989年夏仙台育英が大越基投手の活躍で、県勢初の決勝へ進み、帝京に敗れたものの、当時最高の準優勝に輝いた。1994年夏ベスト8に進み、この時日ハムで活躍する金村秀雄投手がいた。東北は、1985年春・夏ベスト8に進んだ。この時横浜で活躍した大魔神こと佐々木主浩がいた。

この間宮城県の成績は、3635敗全国23位。勝率5割を越えた。高校別では、仙台育英19、東北16勝、仙台商1。

1978

東北

仙台育英

1979

東北

東北

1980

東北

東北

1981

 

仙台育英

1982

東北

東北

1983

東北

仙台商

1984

 

東北

1985

東北

東北

1986

 

仙台育英

1987

 

東北

1988

 

東陵

1989

仙台育英

仙台育英〇

1990

東北

仙台育英

年代

選抜大会

全国大会

1991

仙台育英

東北

1992

仙台育英

仙台育英

1993

東北

東北

1994

東北

仙台育英

1995

仙台育英

仙台育英

1996

 

仙台育英

1997

 

仙台育英

1998

仙台育英

仙台

1999

東北

仙台育英

2000

 

仙台育英

第18回目は、宮城県(1946年~1977年)

②戦後(1946年~1977年)

 1947年夏仙台二中が東北予選を勝ち抜き、さらに甲子園でも初戦浪華商、準々決勝下関商を破り、ベスト4に進んだ。以後宮城県勢は力をつけ、石巻、東北、仙台一と連続出場した。

 

 1960年代から台頭したのが東北で、1958年から4年連続出場するなど県内をリードした。成績でも1959年夏・1972年春ベスト4に進んだ。選抜大会

でも1957年東北が県勢初の出場を果たした。東北に対抗するように台頭してきたのが仙台育英で、1970年代以降2強時代を築いていった。

 この間宮城県の成績は1828敗(全国28位)

 

で、東北1位の成績を収めた。高校別では、東北10、仙台二・仙台商3、仙台育英2。出場数では、東北12、仙台育英7、仙台商3、仙台二2、石巻・仙台一・白石・気仙沼1。

1946

 

 

1947

 

仙台二中

1948

 

石巻

1949

 

東北

1950

 

仙台一

1951

 

 

1952

 

 

1953

 

白石

1954

 

 

第17回目は、宮城県(1915年=1945年)

①戦前(1915年~1941年)

 現在では、宮城県は東北の強豪県だが、戦前は岩手や秋田の方が強かった。野球部は1897年(明治30年)に仙台一中、その3年後仙台二中に誕生した。その後、東北中などで創部された。

 1915年第1回全国大会東北予選に宮城から仙台一中など4校が参加したが、予選で敗退した。1923年仙台一中が東北予選を勝ち抜き、宮城県初の出場を果たした。2年後仙台二中が出場したが、共に勝利を挙げることはできなかった。1930年夏東北中が出場し、水戸中(茨城県)を破り、宮城県初勝利を挙げた。

 

 戦前に出場したのは、この3校だけで、成績は1勝4敗。全国31位だった、

年代

選抜大会

全国大会

1915

 

 

1916

 

 

1917

 

 

1918

 

 

1919

 

 

1920

 

 

1921

 

 

1922

 

 

1923

 

仙台一中

1924

 

 

1925

 

仙台二中

1926

 

 

1927

 

 

1928

 

 

1929

 

 

1930

 

東北中

1931

 

 

1932

 

 

1933

 

 

1934

 

 

1935

 

 

1936

 

 

1937

 

 

1938

 

 

1939

 

 

1940

 

仙台一中

1941

 

 

第16回目は、岩手県(2001年~2022年)

21世紀になると、花巻東、盛岡大付、専大北上、一関商工から校名を変えた一関学院の私立4強が益々存在感を増す。出場34回中32回が4強で占めている。しかも残る2回の一関一、釜石は21世紀枠で出場だった。

 4強の中で最も輝いたのが花巻東で2009年春菊池雄星投手の活躍で岩手県最高の準優勝となり、夏もベスト4へ進んだ。2012年春には、メジャーで活躍中の大谷翔平がいた。2018年夏もベスト4へ進んだ。2017年夏盛岡大付はベスト8に進んだ。

 

 この間岩手県は、3034敗(全国27位)。高校別では、花巻東15、盛岡大付12、一関学院2、釜石1。出場数では、盛岡大付14、花巻東12、一関学院5、専大北上・釜石・一関一1。

2001

 

盛岡大付

2002

 

一関学院

2003

盛岡大付

盛岡大付

2004

一関一☆

盛岡大付

2005

 

花巻東

2006

一関学院

専大北上

2007

 

花巻東

2008

一関学院

盛岡大付

2009

花巻東〇

花巻東

2010

盛岡大付

一関学院

2011

 

花巻東

2012

花巻東

盛岡大付

2013

盛岡大付

花巻東

2014

 

盛岡大付

2015

 

花巻東

2016

釜石☆

盛岡大付

2017

盛岡大付

盛岡大付

2018

花巻東

花巻東

2019

盛岡大付

花巻東

2020

 

 

2021

 

盛岡大付

2022

花巻東

一関学院

第15回目は、岩手県(1978年~2000年)

   世紀末(1978年~2000年)

 岩手県は東北のどの県よりも早い1974年夏から二次予選がなくなり、岩手県予単独で勝ったチームが出場できるようになった。そのため、様々な高校にチャンスが訪れ、多くの高校が出場するようになった。以前強かった盛岡一、福岡の出場機会は減少し、現在4強と言われる私立一関商工、専大北上、花巻東、盛岡大付が1990年代に台頭した。

 この間好成績をあげたのは、1984年春大船渡、多々良学園(山口)、日大三島(静岡)、明徳義塾(高知)を破り、岩手県勢65年ぶりのベスト4へ進んだ。

 

2000年夏専大北上には、ヤクルトの主砲畠山和洋がいた。

この間岩手県は、8勝27敗(全国45位)。高校別では、大船渡3、一関商工・専大北上2,盛岡四1。出場数は、専大北上4、一関商工3、黒沢尻工・大船渡・福岡・盛岡工・盛岡大付2、盛岡一・久慈・久慈商・高田・盛岡三・宮古・花巻東・釜石南・盛岡中央1。

1978

黒沢尻工

盛岡一

1979

 

久慈

1980

 

福岡

1981

 

盛岡工

1982

 

盛岡工

1983

 

黒沢尻工

1984

大船渡

大船渡

1985

 

福岡

1986

 

一関商工

1987

 

一関商工

1988

 

高田

1989

 

盛岡三

1990

 

花巻東

年代

選抜大会

全国大会

1991

 

専大北上

1992

宮古

一関商工

1993

 

久慈商

1994

 

盛岡商

1995

 

盛岡大付

1996

釜石南

盛岡大付

1997

 

専大北上

1998

 

専大北上

1999

 

盛岡中央

2000

 

専大北上

第14回目は、岩手県(1945年~1977年)

戦後初出場は、1946年夏奥羽予選で盛岡中に勝った一関中だった。翌年1947年夏福岡中が出場、1949年盛岡が出場し、戦前の勢いが続いていた。

 

 初めて選抜大会に出場したのが1955年一関一(旧一関中)で、選抜も全国も岩手の初出場は一関一だった。その後、岩手、黒沢尻工、宮古、花巻北など新たに高校が出場した。

この間好成績は、1968年夏盛岡一がベスト8まで進んだ。他2勝したのは、1973年夏盛岡三くらいで、岩手県勢は低調だった。また、後半になり、一関商工、専大北上、花巻商の私立校が出場した。

 

 この間岩手県は、1026敗(全国39位)だった。高校別では、福岡・盛岡一・盛岡三2、岩手・花巻商・専大北上・黒沢尻工1。出場数は、福岡・盛岡一・盛岡商・花巻北3、一関一・宮古・黒沢尻工2、遠野・岩手・専大北上・花巻商・宮古水産・盛岡三・一関商工・花北商1。

1946

 

一関中

1947

 

福岡中

1948

 

 

1949

 

盛岡

1950

 

盛岡

1951

 

 

1952

 

盛岡商

1953

 

 

1954

 

 

年代

選抜大会

全国大会

1955

一関一

岩手

1956

 

 

1957

 

黒沢尻工

1958

遠野

福岡

1959

 

宮古

1960

 

 

1961

 

福岡

1962

宮古

 

1963

 

花巻北

1964

 

花巻商

1965

 

 

1966

盛岡商

花巻北

1967

 

 

1968

 

盛岡一

1969

 

 

1970

 

 

1971

 

花巻北

1972

専大北上

宮古水産

1973

 

盛岡三

1974

 

一関商工

1975

 

盛岡商

1976

 

花北商

1977

 

黒沢尻工

第13回目は、岩手県(1915年~1944年)

①戦前(1915年~1941年)

 岩手県では、1986年(明治19年)に盛岡中で野球が行われた。その後、一関中、福岡中で創部された。 1915年第1回全国大会東北予選に岩手県から参加していない。翌1916年東北予選決勝で盛岡中と一関中が対戦し、一関中が勝利し、全国大会に出場した。初戦で京都二中に勝ったものの、準々決勝は体調不調で敗退した。この頃、東北では、岩手と秋田両県が強く交互に出場した。また、盛岡中は1917年夏・1919年夏ベスト4に進出した。この時期、盛岡中、一関中、福岡中が3強であった。ただ選抜大会には、1校も出場できなかった。

 

 この間岩手県は、915敗(全国18位)。学校別は、盛岡中5、福岡中2、一関中・遠野中1。出場数は、盛岡中・福岡中5、一関中3、遠野中・盛岡商1。

年代

選抜大会

全国大会

1915

 

 

1916

 

一関中

1917

 

盛岡中

1918

 

一関中

1919

 

盛岡中

1920

 

一関中

1921

 

盛岡中

1922

 

 

1923

 

 

1924

 

 

1925

 

 

1926

 

盛岡中

1927

 

福岡中

1928

 

福岡中

1929

 

福岡中

1930

 

 

1931

 

福岡中

1932

 

遠野中

1933

 

盛岡中

1934

 

 

1935

 

 

1936

 

盛岡商

1937

 

 

1938

 

 

1939

 

 

1940

 

福岡中

1941

 

 

第12回目は、青森県(2001年~2022年)

21世紀(2001年~2022年)

 21世紀になり大きな変化は3つあり、1つは青森県の出場32回中30回私立が占めるようになった。公立校は、三沢商、八戸西2校だけだった。2つ目は、私立校でも青森山田と光星学院が強く2強となったこと。3つ目は、全国大会で今まで弱小の青森県のレベルが上がったことである。

 この間好成績を上げたのは光星学院で、2011年夏、2012年春・夏と3季連続準優勝を遂げた。ただ都会の日大三(東京)、大阪桐蔭に一歩及ばなかった。2006年光星学院に坂本勇人(巨人)がいた。

 

 この間青森県は、4032敗(全国16位)。勝率5割を越え、成績が大幅に向上した。高校別では、光星学院29、青森山田8、弘前学院聖愛2、八戸工大一1。出場数では、八戸学院光星16、青森山田10、弘前学院聖愛2、八戸西・八戸工大一・三沢商1。

2001

 

光星学院

2002

 

青森山田

2003

 

光星学院

2004

 

青森山田

2005

青森山田

青森山田

2006

光星学院

青森山田

2007

 

青森山田

2008

 

青森山田

2009

光星学院

青森山田

2010

 

八戸工大一

2011

光星学院

光星学院

2012

光星学院

光星学院

2013

 

聖愛

2014

八戸学院光星

八戸学院光星

2015

八戸学院光星

三沢商

2016

八戸学院青森山田

八戸学院光星

2017

 

青森山田

2018

 

八戸学院光星

2019

八戸学院光星

八戸学院光星

2020

 

 

2021

八戸西☆

弘前学院聖愛

2022

 

八戸学院光星

第11回目は、青森県(1978年~2000年)

③世紀末(1978年~2000年)

 

 1974年から奥羽予選から岩手が抜け、青森と秋田2県の争いになったが、秋田勢が強く1度も勝つことができなかった。1978年夏から11代表となり、毎年出場できるようになった。しかし、1970年夏から1986年夏の17年間青森県は1度も勝つことができず、15連敗を喫した。連覇を阻止したのが1987年春八戸工大一で丸亀商(香川)、日向学院(宮崎)を破り、ベスト8に進んだ。1980年代・90年代から八戸工大一、青森山田、光星学院の私立校が台頭し、これらの私立校は他府県から野球留学生を導入し、強化を図っていた。1999年夏青森山田ベスト8、2000年夏光星学院ベスト4へ進出した。そして、公立校が

先細りになってきた。

 

 この間青森県は、1128敗(全国43位)。高校別では、青森山田4、光星学院3、八戸工大一2、弘前実・弘前工1.出場数では、八戸工大一・弘前実5、弘前工・光星学院4、青森山田3、青森北2、東奥義塾・八戸・三沢商・木造1。

1978

 

青森北

1979

 

弘前実

1980

 

弘前工

1981

 

東奥義塾

1982

 

木造

1983

青森北

八戸工大一

1984

 

弘前実

1985

弘前工

八戸

1986

 

三沢商

1987

八戸工大一

八戸工大一

1988

 

弘前工

1989

 

弘前工

1990

 

八戸工大一

年代

選抜大会

全国大会

1991

 

弘前実

1992

 

弘前実

1993

 

青森山田

1994

 

八戸

1995

 

青森山田

1996

 

弘前実

1997

光星学院

光星学院

1998

光星学院

八戸工大一

1999

 

青森山田

2000

 

光星学院

第10回目は、青森県(1946年~1977年)

②戦後(1946~1977年)

 戦後、青森中、青森一(現青森北)、八戸が県内をリードした。しかし、岩手・秋田両県の前に奥羽大会を勝ち抜きことができず、出場できたのは、12回中青森1948年夏・1951年夏の2回だけだった。

 

 1959年から青森・岩手の2県で北奥羽予選となった。戦前まったく歯が立たなかった岩手県勢も1950年代、60年代は力が落ち、12回対戦で66敗の5

分だった。

全国大会では、8連敗で勝利が遠かったが、1956年八戸が県勢初の選抜大会に出場すると、2回戦寝屋川(大阪)に勝利、これは青森県勢初勝利であった。続く準々決勝でも堀川(京都)に勝ちベスト4に進んだ。1960年夏青森も初戦東北(宮城)に勝ち、全国大会青森県初勝利を挙げた。唯一私立で出場したのが東奥義塾で1958年夏初出場すると、1963年夏3回戦に進み、1967年夏はベスト8に進んだ。

この時期最高成績は三沢で、1968年夏・1969年春2回戦に進み、1969年夏太田幸司投手の活躍で1回戦大分商、2回戦明星(大阪)、準々決勝平安(京都)、準決勝玉島商(岡山)を倒し、決勝で強豪松山商と対戦。三沢大田、松山商大森両投手の好投で延長18回引分再試合となった。再試合は、松山商が勝ち、三沢は健闘むなしく準優勝だった。高校野球史に残る名試合となった。

 この間青森県は、1216敗(全国38位)。高校別では、三沢6、東奥義塾3、八戸2、青森1。

 

出場数は、青森・三沢・東奥義塾3、八戸2、弘前・弘前工・青森一・青森商・五所川原農林1。

1946

 

 

1947

 

 

1948

 

青森

1949

 

 

1950

 

 

1951

 

青森

1952

 

 

1953

 

 

1954

 

 

年代

選抜大会

全国大会

1955

 

 

1956

八戸

 

1957

 

 

1958

 

東奥義塾

1959

 

 

1960

 

青森

1961

 

 

1962

 

青森一

1963

 

東奥義塾

1964

 

 

1965

 

八戸

1966

 

 

1967

 

東奥義塾

1968

 

三沢

1969

三沢

三沢

1970

 

五所川原農林

1971

弘前

 

1972

 

 

1973

 

青森商

1974

 

 

1975

 

 

1976

弘前工

 

1977

 

 

   戦前(1915~1941年)

 青森県に野球が紹介されたのは、1985年(明治18)頃で、1899年年に青森二中(八戸中)に普及され、二中対三中の定期戦や近隣県の強豪と試合をして、盛んになっていった。しかし、中学の対抗戦で乱闘騒ぎがあり、対抗試合が禁止され、大正5年第2回全国大会に参加できなかった。

 全国大会東北予選に初参加したのは、第8回大会1922年八戸中だった。準決勝まで進んだ。その後、青森商も参加。

 1926年第12回東北大会予選(6県)から奥羽大会(青森・秋田・山形)になり、八戸中が勝ち抜き青森県で初めて全国大会に出場した。しかし、1回戦で東山中(京都)に敗れた。翌13回青森師範、14回八戸中、16回八戸中が参加するが、いずれも初戦敗退。その後、青森中、東奥義塾中、弘前中、弘前工、青森水産が予選に参加し、徐々に参加数が増えていった・

 

1938年夏青森師範、翌1939年夏青森中が出場したが、初戦敗退した。結局青森県は戦前八戸中、青森師範、青森中3校で6回出場したが、6連敗。1勝もできなかった。全国順位は36位。県内では、八戸中、青森師範、青森中3校が強かった。

年代

選抜大会

全国大会

1915

 

 

1916

 

 

1917

 

 

1918

 

 

1919

 

 

1920

 

 

1921

 

 

1922

 

 

1923

 

 

1924

 

 

1925

 

 

1926

 

八戸中

1927

 

青森師範

1928

 

八戸中

1929

 

 

1930

 

八戸中

1931

 

 

1932

 

 

1933

 

 

1934

 

 

1935

 

 

1936

 

 

1937

 

 

1938

 

青森師範

1939

 

青森中

1940

 

 

1941

 

 

2024年高校野球

2024年春の選抜高校野球、夏の全国高校野球選手権が終了し、今年の高校野球についてまとめてみました。

高校野球変遷史については、この高校野球のまとめ(数回)後、再びお届けします。

 第1回目は、各都道府県の勝利数についてです。

第5回目は、2024年高校野球の結果。

            センバツ大会

 

  【北海道】       4

  北海●―○大阪桐蔭(大阪)

 別海●―〇創志学園(岡山)

 

 【青森】       6勝3敗

 青森山田〇―●京都国際(京都)

       〇―●広陵(広島)

      ●―〇中央学院(千葉)

八戸学院光星〇―●関東一(東京)

            ●―〇星稜(石川)

 

 【岩手】        1敗

   

 

 【宮城】        1敗  

 

 

 【秋田】        1

   

 

 【山形】      1勝1敗   

 

 

 

 【福島】        2敗

 学法石川●―〇健大高崎(群馬)

 

 【茨城】      2勝2敗

 常総学院〇―●日本航空石川(石川)

    ●―〇報徳学園(兵庫)

 

 【栃木】      1勝2敗

 作新学院●―〇神村学園(鹿児島)

     

 

 【群馬】      6勝1敗

 健大高崎〇―●学法石川(福島)

     〇―●明豊(大分)

     〇―●山梨学院(山梨) 

     〇―●星稜(石川)

     〇―●報徳学園(兵庫)

 

 【埼玉】        1敗

  

          

 【千葉】     3勝2敗

中央学院○―●耐久(和歌山)

     〇―●宇治山田商(三重)

     〇―●青森山田(青森)

     ●―〇報徳学園(兵庫)

 

 【東京】     6勝3

関東一●―〇八戸学院光星(青森)

 

 

 

 

 

 

 

 【神奈川】     2勝1敗

  

 

 

 

 

 【山梨】     2勝2敗

山梨学院○―●京都外大西(京都)

    〇―●創志学園(岡山)

    ●―健大高崎(群馬)

    

 

 【新潟】         1勝1敗

 

 

 【富山】        1敗 

  

 

 【石川】     5勝3敗 

 星稜〇―●田辺(和歌山)

   〇―●八戸学院光星(青森)

   〇―●阿南光(徳島)

   ●―〇健大高崎(群馬)

 日本航空石川●―〇常総学院(茨城)

 

 【福井】      2敗

敦賀気比●―○明豊(大分)

           

 【長野】       1敗

 

 【岐阜】       1敗

 

  【静岡】    1勝1敗

 

 

 【愛知】    1勝3敗

 豊川●―〇阿南光(徳島)

 愛工大名電●―〇報徳学園(兵庫)

 

   【三重】   2勝2

 宇治山田商〇―●東海大福岡(福岡)

     ●―〇中央学院(千葉)

 

   【滋賀】    3勝2

  近江●―〇熊本国府(熊本)

 

 

 

   【京都】    6勝2敗

  京都外大西●―〇山梨学院(山梨)

 京都国際●―〇青森山田(青森)

 

 

 

 

   【大阪】    3勝2

   大阪桐蔭○―●北海(北海道)

            〇―●神村学園(鹿児島)

      ●―〇報徳学園(兵庫)

      

    【兵庫】  4勝2敗

   報徳学園〇―●愛工大名電(愛知) 

         〇―●常総学院(茨城)

      〇―●大阪桐蔭(大阪)

      〇―●中央学院(千葉)

      ●―〇健大高崎(群馬)

 

   【奈良】    3勝1敗 

    

 

 

 

   【和歌山】      3敗

   耐久●―〇中央学院(千葉)

  田辺●―〇星稜(石川)     

    【鳥取】        1

   

 

   【島根】       3勝1

    

 

 

 

   【岡山】       3勝2敗

  創志学園〇―●別海(北海道)

    ●―〇山梨学院(山梨)

 

 

   【広島】   2勝2敗

   広陵〇―●高知(高知)

     ●―〇青森山田(青森)

     

   【山口】      1敗 

   

   【香川】       1

   

 

   【愛媛】      1敗

 

 

   【徳島】      2勝2敗 

 阿南光〇―●豊川(愛知)

    〇―●熊本国府(熊本)

    ●―〇星稜(石川)

 

   【高知】        1勝2敗

  高知●―○広陵(広島)

 

 

   【福岡】      2勝2敗

 東海大福岡●―〇宇治山田商(三重)

 

 

   【佐賀】        1敗

 

   【長崎】   1勝1敗

     

 

   【熊本】    1勝2敗

  熊本国府〇―●近江(滋賀)

     ●―〇阿南光(徳島)

 

   【大分】    1勝2敗

 明豊○―●敦賀気比(福井)

   ●―〇健大高崎(群馬)

 

   【宮崎】        1

      

   【鹿児島】     5勝2

 神村学園〇―●作新学院(栃木)

          ●―〇大阪桐蔭(大阪)

 

 

 

   【沖縄】       1敗

  

 

 

 

 

 

 

     選抜高校野球

 

◎優勝   健大高崎(群馬)

 

○準優勝    報徳学園(兵庫)

 

ベスト4    中央学院(千葉)

            星稜(石川)

 

ベスト8  山梨学院(山梨)

            阿南光(徳島)

            青森山田(青森)

            大阪桐蔭(大阪)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

           全国選手権大会

 

 

  白樺学園●―〇創成館(長崎)

 札幌日大●―〇京都国際(京都) 

   

 

 

   青森山田○―●長野日大(長野)

    〇―●石橋(栃木)

     〇―●滋賀学園(滋賀) 

     ●―〇京都国際(京都) 

 

 

花巻東●―〇滋賀学園(滋賀)

          

 

  聖和学園●―〇石橋(栃木)

           

     

  金足農●―〇西日本短大付(福岡)

  

 

鶴岡東○―●聖光学院(福島)

     ●―〇早稲田実(東京)

 

 

  聖光学院●―〇鶴岡東(山形)

      

 

   霞ヶ浦○―●智辯和歌山(和歌山)

     ●―〇滋賀学園(滋賀)

     

 

   石橋○―●聖和学園(宮城)

    ●―〇青森山田(青森) 

 

 

  健大高崎〇―●英明(香川)

      ●―〇智弁学園(奈良)

 

        

   

 

 

    花咲徳栄●―〇新潟産大付(新潟)

  

 

  木更津総合●―〇神村学園(鹿児島)

     

 

 

 

 

  関東一〇―●北陸(福井)

     〇―●明徳義塾(高知)

     〇―●東海大相模(神奈川)

     〇―●神村学園(鹿児島)

     ●―〇京都国際(京都)

  早稲田実○―●鳴門渦潮(徳島)

       〇―●鶴岡東(山形)

       ●―〇大社(島根)

 

  東海大相模○―●富山商(富山) 

     ○―●広陵(広島)

    ●―〇関東一(東京)

  

 

 

  日本航空●―〇掛川西(静岡)

 

 

 

 

 

  新潟産大付○―●花咲徳栄(埼玉)

           ●―〇京都国際(京都) 

 

  富山商●―○東海大相模(神奈川)

 

 

   小松大谷○―●明豊(大分)

     〇―●大阪桐蔭(大阪)

       ●―〇智弁学園(奈良)

 

 

 

 

   北陸●―〇関東一(東京)

     

 

  長野日大●―〇青森山田(青森)

      

  岐阜城北●―〇智弁学園(奈良)

      

     掛川西〇―●日本航空(山梨)

     ●―〇岡山学芸館(岡山) 

 

中京大中京〇―●宮崎商(宮崎)

       ●―〇神村学園(鹿児島)

 

 

  菰野〇―●南陽工(山口)

    ●―〇西日本短大付(福岡)

 

 

  滋賀学園〇―●有田工(佐賀)

      〇―●花巻東(岩手)

      〇―●霞ヶ浦(茨城)

      ●―〇青森山田(青森)

 

京都国際〇―●札幌日大(北海道)

      〇―●新潟産大(新潟)

      〇―●西日本短大付(福岡)

      〇―●智弁学園(奈良)

      〇―●青森山田(青森)

      〇―●関東一(東京)

 

  大阪桐蔭○―●興南(沖縄)

           ●―〇小松大谷(石川)

 

 

 

   報徳学園●―○大社(島根)

 

 

 

 

 

 

智弁学園○―●岐阜城北(香川)

         ○―●健大高崎(群馬)

    〇―●小松大谷(石川) 

    ●―〇京都国際(京都) 

 

 智弁和歌山●―〇霞ヶ浦(茨城)

    

 

 鳥取城北●―〇明徳義塾(高知)

 

 

 大社〇―●報徳学園(兵庫)

    〇―●創成館(長崎)

   〇―●早稲田実(東京) 

   ●―〇神村学園(鹿児島)

 

  岡山学芸館○―●聖カタリナ(愛媛)

     〇―●掛川西(静岡)    

     ●―〇神村学園(鹿児島)

 

 

  広陵○―●熊本工(熊本)

       ●―〇東海大相模(神奈川)

 

 

  南陽工●―〇菰野(三重)

 

  英明●―〇健大高崎(群馬)

 

 

  聖カタリナ●―○岡山学芸館(岡山)

 

 

  鳴門渦潮●―〇早稲田実(東京)

           

           

 

 

明徳義塾○―●鳥取城北(鳥取)

     ●―〇関東一(東京)

 

 

西日本短大付○―●金足農(秋田)

              〇―●菰野(三重)

        ●―〇京都国際(京都)

 

  有田工●―〇滋賀学園(滋賀)

     

   創成館○―●白樺学園(北海道)

          ●―○大社(島根)

 

   熊本工●―〇広陵(広島)

 

 

 

   明豊●―〇小松大谷(石川)

 

 

 

   宮崎商●―○中京大中京(愛知)

 

   神村学園○―●木更津総合(千葉)  

     〇―●中京大中京(愛知)

     〇―●岡山学芸館(岡山)

     〇―●大社(島根)

     ●―〇関東一(東京)

 

   興南●―〇大阪桐蔭(大阪)

          

 

 

 

 

 

全国高校野球

 

  ◎優勝  京都国際(京都)

 

  ○準優勝  関東一(東京)

 

  ベスト4 青森山田(青森)

     神村学園(鹿児島)

 

  ベスト8  東海大相模(神奈川)

      智弁学園(奈良)

      滋賀学園(滋賀)

      大社(島根) 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

第4回目は、都道府県の総合順位です。

④総合順位

 

 高校野球は、どの都道府県が最強かということで、①勝利数 ②勝率 ③上位度の3つの部門を数値で表して調べた結果、下表のようになった。

 1位は予想通り大阪、勝利数、勝率、上位度1位と3冠。この勢いは今後も変わりそうもない。まさに最強と言える。2位は愛知、戦前から現在に至るまで常に上位を確保し、3部門とも4位以内を占める。同じく2位は甲子園の地元兵庫、愛知と同じように戦前から強豪。4位神奈川は上位3府県と異にする。戦前はとても強豪とは言える県ではなかった。しかし、戦後急激に力をつけ、上位に食い込んだ。5位広島も戦前からの強豪県で現在に至る。同じく5位東京、戦前から東日本の強豪だった。以下和歌山、高知、愛媛、京都とベストテンに並ぶ。この7位から10位までの府県は、ほとんどが戦前から活躍したが、高知だけが例外で戦前は1勝どころか、甲子園には全く縁がなかった。戦後急激に力をつけてきた勢力である。その他戦後進出した勢力は、12位徳島、14位奈良、22位沖縄等で、特に沖縄は昭和時代判官贔屓されるほど、弱小であった。しかし、平成、特に21世紀に入って沖縄尚学、興南が優勝し、一躍九州一の強豪となった。

  全体的に上位は近畿、東海、南関東、四国、山陽の都府県が占め、この中には、古豪と新興とが混在する。また、下位の方は東北、北陸、山陰で、この地方は優勝・準優勝回数も少なく、上位に入るのも厳しい。しかし、最近は弱小県といわれるところも力をつけてきて、その例に青森や滋賀、があがる。青森は八戸学院光星の3季連続準優勝があり、それまで最下位の方であった青森を33位までひきあげた。滋賀はレベルの高い近畿地区でもまれ力をつけてきた。下位の県でも2000年以降花巻東(岩手)準優勝、日大山形(山形)ベスト4、日本文理(新潟)準優勝と善戦している。下位の県には、今後の活躍を期待したい。

 

 

1 大阪  141(47・47・47)

2 愛知  133(44・44・45)

2 兵庫  133(46・41・46)

4   神奈川  127(41・46・40)

5  広島   125(42・42・41)

5   東京   125(46・35・44)

    和歌山  124(43・38・43)

    高知   122(39・45・38)

    愛媛    120(38・43・39)

10  京都    114(40・32・42)

11  岐阜    107(33・37・37)

12  徳島    106(32・40・34)

12  千葉    106(35・39・32)

14  奈良    104(36・37・31)

15  福岡  96(37・24・35)  15  香川      96(31・29・36)

17  静岡  92(34・25・33)

17  埼玉      92(29・34・29)

19  宮城     81(27・31・23)

20  熊本      80(24・28・28)

20  群馬      80(25・27・28)

22 沖縄      79(22・33・22)  22  山口      79(28・21・30)

24  栃木      78(23・30・25)

 

 25    岡山     74(26・26・22)

26   鹿児島 66(22・24・20)

 27     北海道  60(30・4・26)

27     茨城    60(19・22・19)

29     大分    56(18・19・19)

30     長野   54(18・11・25)

 30     福井    54(20・17・17)

32     山梨    50(16・20・14)

33     青森    48(14・18・16)34     長崎    46(15・16・15)

  35     滋賀    37(11・13・13)36     宮崎   35(13・15・7)

 36     石川    35(13・14・8)  38     三重    33(10・12・11) 39     秋田    29(9・9・11)   40    鳥取    26(7・6・13)

 41     岩手    25(8・8・9)    42     福島    21(6・10・5)

43     佐賀    16(4・7・5)

 44     島根    15(5・3・7)

 45     山形     9(3・5・1)       46     富山      (2・2・2)    

 47     新潟      (1・1・3)

 

 

第3回目は、都道府県の上位度です。

③上位度

 

 上位度数とは、大会の上位に入っている度合を調べ、数値化したものである。これは、優勝、準優勝、ベスト4、ベスト8の各回数を調べ、優勝=4点、準優勝=3点、ベスト4=2点、ベスト8=1点として、得点に回数をかけ点数化した。下表は、都道府県名、上位度数、括弧内左から優勝、準優勝、ベスト4、ベスト8の回数を表したものである。

 大阪の上位度数は249、勝利数・勝率に続いて1位で3冠を達成。優勝26回、準優勝15回、ベスト4 27回、ベスト8 46回と圧倒的な強さである。優勝・準優勝回数はそれぞれ全国一で、2位以下を大きく離す。2位兵庫196、優勝13回、準優勝9回。3位愛知191、優勝19回、準優勝9回。中でも中京大中京が優勝11回、準優勝4回と愛知の半数を占め、上位度に貢献。4位東京174、5位和歌山144と上位度5位までは、ほぼ勝利数の順位と同じ、以下京都、広島、神奈川、愛媛、高知と続く。

  また、優勝回数は少ないが、上位度数が高いのは、優勝1回のみでは20位熊本、25位宮城、26位岡山、28位鹿児島。優勝0回では、32位青森、35位鳥取。特に青森は準優勝を4回も記録し、中でも八戸学院光星は3季連続準優勝を遂げた。

 逆に優勝するが、上位度数が低いのは43位佐賀、平成になって佐賀商、佐賀北が優勝を飾ったものの、ベスト4が最高の島根よりも低い。次いで37位三重も2回優勝するが、優勝のない青森、鳥取よりも上位度は低い。

  全体的に言えることは、上位度数は、ほぼ勝利数の順位と同じである。

 

 

1大阪  249(26・15・2746

2兵庫  196(13・9・32・49

3愛知  191(19・9・26・36

  東京    174(12・13・2145)

5 和歌山  144(13・10・1728)     京都    124(7・11・13・37)

  広島    123(12・11・8・26

  神奈川  121(15・8・10・17

    愛媛    113(10・8・16・17)

10  高知      89(5・7・11・26)

11  岐阜      82(4・8・12・18)

12  香川      81(5・4・11・27)

13  福岡      79(4・5・13・22)

14  徳島      72(6・6・9・12)

15  静岡  65(5・6・5・17)

15  千葉  65(3・6・9・17)

17  奈良      60(4・1・9・23)

18  山口      57(2・7・5・18)

19  埼玉      53(3・4・8・13)  20  熊本      50(1・3・12・13)

20  群馬      50(3・2・9・14)  22  北海道  46(2・4・3・20)   23  長野      45(2・5・6・10)

23  栃木    45(3・3・7・10)

 

25     宮城    44(1・5・4・17) 26     岡山   43(1・1・13・10

 26    沖縄    43(4・2・5・11)

28     鹿児島  40(1・2・7・16)

 29     大分    32(2・1・3・15)29     茨城    32(3・3・2・7)

 31     福井    30(1・1・6・11)

32     青森    29(0・4・3・9)  33     長崎    28(1・1・5・11)

 34     山梨    26(1・0・7・8) 35     鳥取    25(0・1・7・8)

 35     滋賀    25(0・2・4・9)

 37     三重    24(2・1・2・9)

 37     秋田    24(0・2・5・8)   39     岩手    22(0・1・5・9)

 40     石川    21(0・2・3・9)  41     宮崎    16(0・1・3・7)

 41     島根    16(0・0・3・10)

 43     佐賀    13(2・0・1・3)

 43     福島    13(0・1・1・8)

 45     新潟    10(0・1・1・5)

 46     富山      7(0・0・1・5)

 47     山形      5(0・0・2・1)

 

第2回目は、都道府県の勝率です。

②通算勝率

 

 通算勝利数の上位は、前ページのように大阪、兵庫、東京、愛知、和歌山の順で、高校野球大会黎明期から活躍した都府県が多かったが、勝率はどうだろうか。

下表をご覧いただきたい。1位は昨年に引き続き大阪、2018年春夏連覇・22年春優勝の大阪桐蔭の活躍が大きく、勝率を上げた。勝利数に続く1位である。2位は神奈川、一時は大阪を上回っていたが、今では大阪に水をあけられた。3位高知、高知商、明徳義塾が健闘する。4位愛知は勝利数でも4位、一時の勢いは陰を潜めた。5位愛媛、黎明期からの野球どころ、最近はやや精彩を欠く。以下、広島、兵庫、徳島、千葉、和歌山と続く。

 勝利数は上位だが、勝率で低いのが、7位兵庫(勝利数2位)10位和歌山(5位)13位東京(2位)24位福岡(11位)。極端なのが北海道、勝利数では18位だが、勝率では何と44位。夏の大会に2チーム参加し勝利数を稼げる有利さがあるが、その分敗戦も多くなり低勝率になる。

 逆なのが、前出の高知、愛媛、徳島の四国勢。これらの県では、地域のレベルが高く初出場の高校でも侮れない。また、21世紀に飛躍したのは沖縄で、勝利数は26位だが、勝率は15位に躍進。甲子園初出場した時のひ弱さはない。

 全体的には近畿、関東、四国の都府県が上位を占める。逆に低いのが、北海道、東北、北陸、山陰で、ほぼ勝利数の順位と同じである。 

 

 

1 大阪   .632(400-233)

2 神奈川  .624(217-131)

3 高知   .599(193-130)

4 愛知    .597(310-209)

5  愛媛     .591(188-130)

    広島     .581(218-157)

    兵庫     .563(324-251) 8    徳島     .555(142-114) 9  千葉     .552(149-121) 

10  和歌山   .549(235-193) 

11  岐阜     .548(143-118) 

11  奈良     .548(153-126) 13  東京  .544(324-272) 14  埼玉     .543(120-101) 15  沖縄   .542(104-88)

16  京都     .536(213-186)

17  宮城     .518(117ー109) 18  栃木    .507(106-103)

19  香川     .496(133ー135)

20  熊本     .489(108-113) 

21  群馬     .485(112-119)

22  岡山     .481(115-124) 23  静岡     .480(145-157)

24  福岡    .479(157-174)

 

24  鹿児島 .479(104-113)

26  茨城   .469(90-102)

27  山口   .468(118-134) 

28  山梨   .466(75-86)

29  大分   .455(86-103)

 30  青森   .452(71-86)

31  福井   .434(95-124)

32  長崎   .429(72-96)

33  宮崎   .426(69-93)

 34  石川   .421(69-95)

35  滋賀   .405(68-100)

36  三重   .403(64-95)

37  長野   .391(86-134)

 38  福島   .378(51-84)

39  秋田   .372(61-103)

40  岩手   .366(60-104)

41  佐賀   .363(45-79)

42  鳥取   .352(58-107)

43  山形   .339(39-76)

44  北海道  .326(121-250)

45  富山   .311(37-82)

46  島根   .319(46-98)      47  新潟   .299(32-75)   

 

 

  高校野球 最強都道府県はどこだ    ~全国選手権・選抜大会の記録から~

 

高校野球の強い都道府県はどこか?の問いに対して、大阪、愛知、広島、神奈川等の府県が思い浮かぶ。そこで、強さを数値で表して調べてみることにした。その数値の資料は、①通算勝利数 ②通算勝率 ③上位度数 の3つの部門に分け、それぞれ1位から47位にランク付けをし、1位47点2位46点・・・47位1点のように得点化して、この3つの得点を総合して最強都道府県を探し出すことにした。また、これらの資料は春の選抜大会、夏の全国大会の記録から表したもので、都道府県の予選大会、春・秋の地方大会、明治神宮大会等は除いている。

    通算勝利数

  通算勝利数の記録は下表の通りである。1位は大阪400勝、唯一400勝は大阪だけで、2位以下を引き離している。甲子園の地元という有利さもあるが、浪商、PL学園、大阪桐蔭とどの年代にも強豪校が入れ替わりで登場。2位は甲子園のおひざ元兵庫、地の利を生かし、勝利数を324と伸ばす。黎明期以来強豪校が出現し、最近では報徳学園、東洋大姫路が活躍。同じく2位は東京、夏は東西2校参加できる有利さがあり、早実、帝京、日大三の3強が好成績をあげる。4位愛知は高校通算勝利数を誇る中京大中京を中心に、東邦、愛工大名電の活躍が光る。5位和歌山は、黎明期から現在に至るまで和歌山中、海草中、箕島、智弁和歌山とどの年代にも強豪校が出現。6位は広島商、広陵の2枚看板の広島。7位神奈川、戦後になり力をつけ、法政二、横浜、東海大相模、慶応と強豪校がひしめく。8位京都、全国中等野球第一回大会で京都二中が優勝、また龍谷大平安の活躍が光る。9位高知は、高知商、明徳義塾が勝利数を稼ぐ。10位は古豪松山商の存在が大きい愛媛。

  全体的には大阪、東京、愛知等大都市圏が上位に並び、四国、東海、関東地区も健闘。最近地域差がなくなってきたものの、東北、北陸、山陰はまだまだ下位の方だ。  

1 大阪    400勝233敗 ⑤

2 兵庫    324勝251敗 

2 東京      324勝272敗 

4 愛知    310勝209敗 

5 和歌山      235勝193敗 ③

    広島        218勝157敗 ③

    神奈川      217勝131敗 ①

    京都        213勝186敗 ②

9   高知        193勝130敗

10  愛媛        188勝130敗 ①

11  福岡        157勝174敗 ①

12  奈良        153勝126敗

13  千葉        149勝121敗    14  静岡        145勝157敗 ①

15  岐阜        143勝118敗 ②

16  徳島        142勝114敗 ①

17  香川        133勝135敗

18  北海道      121勝250敗 ②

19  埼玉        120勝101敗 ①

20  山口        118勝134敗 

21 宮城       117勝109敗    22  岡山        115勝124敗 

23  群馬        112勝119敗 ②  24  熊本      108勝113敗  ①  

 

25     栃木     106勝103敗 ②  26     沖縄     104勝 88敗

 26     鹿児島   104勝113敗 ②

 28     福井      95勝124敗 ①

29     茨城      90勝102敗

30     長野      86勝134敗

 30     大分      86勝103敗

32     山梨      75勝 86敗

33     長崎      72勝 96敗       34     青森      71勝 86敗 ①  35     宮崎      69勝 93敗

 35     石川      69勝 95敗 ①  37     滋賀      68勝100敗 ②  

38     三重      64  95敗 ①

39     秋田      61勝103敗

40     岩手      60勝104敗 ①  41     鳥取      58勝107敗

42     福島      51勝 84敗

43     島根      46勝 98敗    44     佐賀      45勝 79敗 ①

 45     山形      39勝 76敗

46     富山      37勝 82敗 ②   

 47     新潟      32勝 75敗

 

 

 

高校野球変遷史

高校野球変遷史は、都道府県ごとにまとめた内容で、2022年までの記録である。北海道から述べていく。

第8回目は、北北海道(2001年~)

21世紀になり特筆されることは、北地区が広がり、今まで南地区だった空知が北に移り、南の強豪駒大岩見沢が北に入ってきたことだ。選抜大会でベスト4になり、期待されていたが、何と2014年閉校になってしまった。

 出場の地域を見ると、前期に引き続き旭川、帯広の高校が多い。内訳は29回中、旭川12、帯広8、岩見沢3、深川2、あとは釧路、滝川、遠軽、女満別だった。

高校別では、多い順位に旭川大5、白樺学園4、旭川工・旭川実・駒大岩見沢3、帯広農・クラーク2だった。公立と私立の比較では、1対2の割合となり、私立が増えつつある。

成績は429敗。高校別では、駒大岩見沢2、白樺学園・遠軽1で、例年活躍する旭川勢が1勝もできなかった。また、2014年から9年間勝利がなく、9連敗中である。

 

 選抜大会では、北海道28回中北地区は9回出場、21世紀枠もあり、日頃野球に精進している高校も選出され、北地区から3校が選ばれた。しかし、2020年は2校北地区が選ばれたが、コロナ感染の影響で大会が中止となった。

2001

 

帯広三条

2002

 

旭川工

2003

旭川実

旭川大

2004

 

旭川北

2005

 

旭川工

2006

旭川実

白樺学園

2007

旭川南

駒大岩見沢

2008

駒大岩見沢

駒大岩見沢

2009

 

旭川大

2010

 

旭川実

2011

 

白樺学園

2012

女満別☆

旭川工

2013

遠軽☆

帯広大谷

2014

 

武修館

2015

 

白樺学園

2016

 

クラーク国際

2017

 

滝川西

2018

 

旭川大

2019

 

旭川大

2020

白樺学園帯広農☆

 

2021

 

帯広農

2022

クラーク国際

旭川大

第7回目は、北北海道(1978年~2000年)

 この時期になると、前期の旭川、帯広、釧路の3強から旭川、帯広の2強になり、釧路が後退した。28回中、旭川13、帯広5。滝川・砂川3、釧路1。他に広尾町、中標津町の小さな町からも出場した。

 高校別では、多い順に旭川竜谷5、旭川大4、砂川北・滝川西3、旭川工・旭川実2。前期最も多かった釧路江南は1度も出場しなかった。公立私立別では、

1414で同数だった。

 成績1128敗で、勝利数の内訳は旭川実5,旭川大3、旭川竜谷2、砂川北1と、旭川勢が勝利数のほとんどを占めている。帯広勢からの勝利はなかった。

 

注目されるのは、選手権大会第771995年で、旭

川実が1回戦松山商(愛媛)、2回戦鹿児島商(鹿児島)、3回戦銚子商(千葉)と優勝経験チームを破り準々決勝へ進出、しかし、準々決勝では敦賀気比(福井)に僅差で敗退。 この成績は、北北海道の最高記録となった。

選抜大会の出場は、北海道28代表中5回で、勝利は1度もなかった。南地区と比べて、北地区はまだまだ弱小で、全国大会でも厳しい状況に変わりない。

1978

 

旭川竜谷

1979

 

釧路工

1980

 

旭川大

1981

 

帯広工

1982

 

帯広農

1983

 

旭川竜谷

1984

砂川北

広尾

1985

 

旭川竜谷

1986

 

帯広三条

1987

旭川竜谷

帯広北

1988

 

滝川西

1989

 

帯広北

1990

 

中標津

年代

選抜大会

全国大会

1991

旭川竜谷

旭川工

1992

 

砂川北

1993

 

旭川大

1994

滝川西

砂川北

1995

 

旭川実

1996

 

旭川工

1997

 

旭川大

1998

 

滝川西

1999

 

旭川実

2000

 

旭川大

第6回目は、北北海道(1955年~1977年)

南北が分裂したのは、第48回大会1959年からであった。広大な面積の北海道では、2校選出は当然と考える。しかし、南北の区割りだが、分裂前北地区は42回中4回(旭川商、帯広、芦別、北見北斗)、勝利数も24勝中帯広1勝のみだった。道内野球の強豪校が南地区の札幌、函館などに集中しているため、北地区は道北、道東、道央の一部を含むなど、広い地域となった。

 南北分裂後、最初に北地区で代表になったのは、帯広三条だった。その後、旭川北、釧路江南が続いた。1977年までを地域別にみると、22回中旭川7、釧路5、帯広3、北見・網走・芦別2、留萌で、北地区の大都市からの出場が多かった。また、高校別では、多い順に釧路江南4、旭川竜谷・帯広三条3、網走南ヶ丘・芦別工2だった。1960年代までは、公立校が占めていたが、60年代後半から70年代にかけて北日本学院、釧路一、旭川竜谷等私立校が進出してきた。

 この間の成績は、5勝22敗。勝利の内訳は、旭川竜谷2、帯広三条・釧路一・北日本学院。また、北地区最初の勝利は1965年帯広三条で、1回戦八戸(青森)に勝利。2回戦は習志野(千葉)に敗退した。

 

 北地区の選抜大会出場は、北海道21回中3回だった。

年代

選抜大会

全国大会

1955

 

 

1956

 

 

1957

 

 

1958

 

 

1959

 

帯広三条

1960

 

旭川北

1961

 

釧路江南

1962

 

帯広三条

1963

 

釧路商

1964

 

旭川南

1965

 

帯広三条

1966

 

釧路江南

1967

 

網走南ヶ丘

1968

 

北日本学院

1969

釧路一

芦別工

1970

網走南ヶ丘

北見柏陽

1971

芦別工

留萌

1972

 

北見工

1973

 

旭川竜谷

1974

 

旭川竜谷

1975

 

旭川竜谷

1976

 

釧路江南

1977

 

釧路江南

第5回目は、南北海道(2001年~)

21世紀になり、北海道が大躍進した。それは、駒大苫小牧が2004年夏・2005年夏と2年連続優勝を遂げた。しかも2006年夏も田中将大投手の好投で決勝まで進み、中京商の3連覇に並ぶかに見えたが、再試合の結果、早実に阻まれてしまった。しかし、優勝旗が白河の関どころか、一気に津軽海峡まで超えてしまった。このような好成績を上げた理由は、野球留学生の導入、室内練習場の充実、効果的な練習が考えられる。

さらに、2015年春東海大四・2016年夏北海が準優勝した。北海道は、弱いイメージがあるが、21世紀になり払しょくされつつある。特に南北海道は他県とそん色がないまでに成長した。

 この間南北海道の成績は、34勝39敗。駒大苫小牧16勝、東海大四・北海6勝、北照4勝。

 

出場回数は、駒大苫小牧10回、北海・北照8回、札幌第一6回など。地域的には、北海・東海大四・札幌第一などの札幌、駒大苫小牧の苫小牧、北照の小樽、選抜参加の鵡川の鵡川町。今まで多くの高校を送り出した函館からは1校も出場できなかった。また、公立校は鵡川だけで、南北海道は私立校がほとんど占めるようになった。

1999

駒大岩見沢

北海

2000

北照

札幌南

2001

東海大四

駒大苫小牧

2002

札幌日大鵡川☆

札幌第一

2003

駒大苫小牧

駒大苫小牧

2004

鵡川

駒大苫小牧◎

2005

駒大苫小牧

駒大苫小牧◎

2006

北海道栄

駒大苫小牧〇

2007

 

駒大苫小牧

2008

 

北海

2009

鵡川

札幌第一

2010

北照

北照

2011

北海

北海

2012

北照

札幌第一

2013

北照

北照

2014

駒大苫小牧

東海大四

2015

東海大四〇

北海

2016

札幌第一

北海〇

2017

札幌第一

北海

2018

駒大苫小牧

北照

2019

札幌第一札幌大谷

北照

2020

 

 

2021

北海

北海

2022

 

札幌大谷

4回目 南北海道(1979年~2000年)

1978年から1府県が1校となり、2000年までを世紀末時期とした。この間南北海道の特徴は、公立校が極端に少なくなり、1989年苫小牧工、1993年知内、

2000年札幌南3校だけ。しかも札幌南は旧札幌一中以来61年ぶりの出場だった。

 地域的には、以前と同じように札幌、函館、苫小牧

が多い。新たに駒大岩見沢の岩見沢、北照の小樽、室蘭大谷の室蘭、知内の函館に隣接する知内町が加わった。

 この間の活躍は駒大岩見沢が1983年春準々決勝、1993年春準決勝進出。1994年夏北海準々決勝進

この時2回戦で北海対砂川北の北海道同士の対戦が組まれた。

この間南北海道の成績は、2247敗。出場数は、東海大四・函館大有斗・駒大岩見沢9回。北海8回。北照3回。

1978

東海大四

東海大四

1979

室蘭大谷

札幌商

1980

東海大四

札幌商

1981

北海道日大東海大四

函館有斗

1982

北海

函館有斗

1983

駒大岩見沢

駒大岩見沢

1984

 

北海

1985

駒大岩見沢

函館有斗

1986

函館有斗

東海大四

1987

 

函館有斗

1988

北海函館有斗

札幌開成

1989

東海大四苫小牧工

北海

1990

駒大岩見沢

函館大有斗

年代

選抜大会

全国大会

1991

 

北照

1992

駒大岩見沢

北海

1993

駒大岩見沢知内

東海大四

1994

 

北海

1995

北海

北海道工

1996

駒大岩見沢

北海

1997

函館大有斗

函館大有斗

1998

北照苫小牧東

駒大岩見沢

1999

駒大岩見沢

北海

2000

北照

札幌南

1.南北海道(1958年~1977年)

(1)南北海道

 1959年から全国選手権大会では、北海道は南北2地区に分かれ、2チームが出場できるようになった。そこで、ここから南北海道について、述べることにする。 南北の区別のない選抜大会の出場校を見てもわかるようにほとんどが札幌、函館、苫小牧など南北海道のチームが圧倒的に多い。北北海道のチームにとっては、出場の機会が広がった。また、南北の線引きも時期によって変わり、空知地方の駒大岩見沢は、最初南北海道から出場したが、後北北海道から出場した。

 1977年まで、札幌・函館・苫小牧の高校が出場している。それ以外では1966年春室蘭工、1969年夏三笠の2校だけである。また、19741976年選抜では、2校共南の高校だった。

 この間特筆されることは、北海の快進撃で、1960年春準決勝、夏準々決勝。1962年夏準々決勝。1963年春日南、PL学園、享栄商、早実を破り、決勝まで進み、池永正明投手の下関商に敗退したものの、北海道初の準優勝に輝いた。

 

 1959年から1977年までの南北海道の成績は、2035敗。戦後の出場数は、北海20回、札幌商6回、函館工・苫小牧工・苫小牧東5回。函館有斗4回。

1958

函館工

札幌商

1959

苫小牧工

苫小牧東

1960

北海

北海

1961

北海

札幌商

1962

北海

北海

1963

北海〇

函館工

1964

北海

北海

1965

苫小牧東

北海

1966

室蘭工

駒大苫小牧

1967

札幌光星

北海

1968

苫小牧東

北海

1969

 

三笠

1970

 

北海

1971

 

北海

1972

苫小牧工

苫小牧工

1973

函館有斗

札幌商

1974

函館有斗苫小牧工

函館有斗

1975

札幌商北海道日大

北海道日大

1976

札幌商函館有斗

東海大四

1977

北海道日大

札幌商

1.北海道・戦後(1946年~1957年)

1946

 

函館中

1947

 

函館工

1948

 

函館工

1949

 

帯広(北)

1950

 

北海

1951

 

北海

1952

函館西

函館西

1953

北海

北海

1954

北海

北海

年代

選抜大会

全国大会

1955

北見北斗(北)

芦別(北)

1956

苫小牧工

北海

1957

苫小牧東

函館工

 戦後北海道の大きな変化は、1959年から南北に分割し、全国大会では、2校参加ができるようになった。

 戦後初の出場は函館中で、函館工、函館西が続き、

苫小牧工・東、北地区からも帯広、芦別、北見北斗。戦前の札幌勢の勢いが衰えたとはいえ、北海、札幌商も出場。野球の普及と共に地域差がなくなってきた。

 南北分裂前1946年から1959年まで13年間、北海道勢は、戦後最初の函館中は初戦突破し、さらに1948年夏函館工、1950年夏北海、1952年夏函館西と3

準々決勝に進んだ。この間、1220敗。

1.北海道・戦前(~1945年)

①戦前(20152041年)

 北海道に初めて野球が普及したのは、函館地区で明治31年に函館商で創部、翌年函館中で創部された。札幌でも明治34年北海中、札幌一中、北海道師範で創部された。しかし、学校同士の紛争が起こり、道庁より対抗試合禁止令が出て、1915年に始まった選手権に参加できなかった。

 大正9年(1920年)第6回全国大会になり、初めて北海道予選が北大球場で行われ、北海中、函館中、函館商、小樽中、小樽商、根室商6校が参加、その結果北海中が予選を制し、北海道で初めて全国選手権大会に出場した。しかし、初戦で長岡中(新潟)に敗れた。翌年は函館中が参加、黎明期は札幌、函館地区の力が拮抗し交互に出場。北海道の初勝利は1922年北海中、名古屋商(愛知)に勝利した。北北海道地区(後南北分裂)の初出場は、第12回(1926年)大会の旭川商で、残念ながら本大会で初戦敗退した。戦前の北の出場は、この一度だけだった。

 快進撃は、第14回(1928年)の北海中で、1回戦豊中中(大阪)、2回戦台北工(台湾)を破り準決勝へ進出、しかし平安中(京都)に敗れ、決勝へ進めなかった。1928年から1940年まで14年間は、北海中、札幌一中、札幌商が参加し、札幌勢が独占した。

 選抜大会の初出場は、第15回大会(1938年)北海中で、初戦敗退した。

 戦前北海道は9勝22敗(全国18位)、出場数では、

 

北海中15回、札幌一中・札幌商2回、函館中、函館商、旭川商だった。

年代

選抜大会

全国大会

1915

 

 

1916

 

 

1917

 

 

1918

 

 

1919

 

 

1920

 

北海中

1921

 

函館中

1922

 

北海中

1923

 

函館商

1924

 

北海中

1925

 

北海中

1926

 

旭川商(北)

1927

 

札幌一中

1928

 

北海中

1929

 

北海中

1930

 

北海中

1931

 

札幌商

1932

 

北海中

1933

 

北海中

1934

 

札幌商

1935

 

北海中

1936

 

北海中

1937

 

北海中

1938

北海中

北海中

1939

 

札幌一中

1940

 

北海中

1941